正司照江 プロフィール

正司照江 プロフィール

正司照江 属性プロフィール

正司照江

正司照江 プロフィール概要

かしまし娘(かしましむすめ)は、元松竹芸能所属の姉妹音曲漫才トリオ。道頓堀/角座がホームグラウンドで、松竹芸能の看板芸人だった。「ウチら陽気なかしまし娘 誰が言ったか知らないが 女三人寄ったら かしましいとは愉快だね」でお馴染みのテーマソングは、脚本家の大村淳一の作詞で、レコード化もされた。グループとしてのかしまし娘は四半世紀に亙って休眠状態で、その間各々がピンで活動していたが、散発的に再開の兆しを見せている。

正司照江 プロフィール詳細

来歴
父は尺八吹き、母は追分唄いで、旅回りの一座を組んでいた。三人とも3歳で初舞台を踏まされる。歌江は座員だった都上英二に漫才を仕込まれた。1941年頃、歌江・照江がコンビを組み新興キネマ演芸部に所属、幼い花江は別の一座に預けられ、少女歌手として旅回りしていた。1948年 歌江が富山へ駆け落ちしたため、旅回り一座に残っていた花江を呼び戻し、照江・花江で新コンビ結成。兄貴分の夢路いとし・喜味こいしらから指導を受け、戎橋松竹や名古屋の富士劇場などで歌謡漫才をしていたが、照枝の体調不良も相俟って芽が出ず。1956年 勝忠男(戎橋松竹支配人兼新生プロダクション社長。後に松竹芸能を創業)の取り成しで歌江が元に直り、三姉妹でカシマシ娘結成。8月31日に南街劇場のストリップ幕間でデビューする。歌謡曲・浪曲・民謡・小唄・長唄を一通りこなせる器用さと、若手三姉妹トリオは他にないこと、実力者・勝の後押しを受けたこと、民放テレビ局の勃興期に当ったことで、どん底から一転して人気者になる。最初はカタカナ表記のカシマシ娘だったが、北野劇場が間違えて看板をひらがなで書いてしまい、この方が語感が良いとそのままになった。1958年6月 松竹芸能所属タレント第1号1959年 朝日放送と民放専属出演契約(~1965年)1966年 上方漫才大賞受賞1981年 結成25周年を期にグループ活動を休止(70年代後半より低迷しており、かしまし娘の、生みの親で育ての親でもある勝忠男が「もうええやろ」と三人に通告した)各々ピンになる。歌江は舞台や講演、照江は松竹新喜劇に6年間客演し藤山寛美の厳しい稽古に耐え、花江は司会などしていた。2005年 結成50周年の前祝で、上方お笑い大賞審査員特別賞受賞。記念公演も行う。その後、ぼちぼち活動再開し、座長公演の傍ら時折テレビ出演等もしているが、テーマソングはカラオケを用い、楽器を持たず専ら漫談を披露している。

エピソード
芸の上の喧嘩が絶えなかったことで有名。他の芸人に迷惑が掛かるため、売れっ子であった若手時代から異例のかしまし専用の楽屋や、運転手付の自動車が用意された。ネタ合わせ中にも口論が絶えないので、台本は数度稽古するだけで舞台に掛けていた。しかし姉妹仲そのものが悪い訳ではなく、私生活では三人にマネージャーや歌江の夫(照枝は現在独身、花江の夫は故人)らを加えて、よく卓を囲んでいる。三姉妹ともに大阪市吹田市在住。歩いて2分以内という近所にそれぞれ邸宅を構えている。


正司照江 画像

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正司照江 動画

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正司歌江 木遣くずし

坪川拓史監督作品 映画『アリア』(2007) ダイジェスト版

「百合祭」予告編

かしまし娘

耳コピ 椎名林檎 「カーネーション」 NHK連続テレビ小説 主題歌

正司照江 作品

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